若者は評論に走ってはいけない?

ふと大槻ケンヂがどうしてあまりメジャーでないのか
気になってしまった。
筋肉少女帯プログレ(なのかな?)としての
存在感と認知度は十分と思う。
しかし一個人として、大槻ケンヂは、
エッセイ、小説、オタク系としてマルチに活躍して、
そこそこ人気のある割りに、
「芸能界」的に存在感が希薄である。
しかし彼は映画にまで出演しているのだ。
なぜだらう。


やはり彼が人生とはなんぞやということを
追求しすぎ、表現しすぎたのが大御所層の
反感を買ったのではないだろうか?
そう青年は荒野を走ってもいいが、
評論に走ってはいけないのだ。
なぜなら、それは能力ゼロ、
過去の栄光しかなくて、
できることといったら人生の総評くらいの
大御所層の最後の牙城が評論だからだ。


だからむしろ大槻氏が老害たち、
たとえば和田あきことかかな、
に「人生を教えてください」的に
お追従すればもっと大物になったかもしれない。
しかし彼はそれ以前に
「人生などわからなくていいのだ」という
非常に素晴らしすぎる結論に、
表面的か本質的にかは別として、
辿り着いてしまったのだから、
それ以上老害連中にも言えることはないのだ。


もう一つは彼の生き方が手堅すぎて、
安定しすぎてしまったからであろう。
彼はロックで大儲けした中から、
かなりの額を両親に贈与してしまったそうだ。
泣けることに彼の父君は
「ケンヂが将来、無職になっても大丈夫なように」
それでマンションを購入して
大槻氏に最低限の定収入が入るようにしたというのだ。
たぶんこれが功を奏しすぎて、
彼は身を粉にして、プライドを捨てて、
一生懸命に働こうという気をなくしたのではないだろうか。
かつてアメリカの大実業家が
「成功する3つの秘訣は若いこと、無名であること、
貧乏であること」
と言ったものだ。