評論する若者が成功する条件

大槻ケンヂとは対照的に評論的なのに成功した人もいる。
それはフォーククルセダーズの北山修氏だ。


これがなぜかというと、彼らが団塊の世代というのが
理由の一つではないか?
つまり彼らの上にいるのは戦争に負けた人々で、
彼ら自身は戦争と直接には関係ない人々なのだ。
なんだかんだ言っても戦争に負けた人々は
自分の中に負い目があるだろう。
なにせ戦時中は散々
「非国民は氏ね」
というようなことを言ったり行ったりしてきたくせに、
負けた途端にアメリカの世話になって生きてきたわけだから、
子供たちに
「こら、お前たちが人生を語るなんて、
社会を語るなんて50年早いわ」
などということは言えなかったのだろう。


結局、北山氏は本当の精神科医として、
また大学教授として人の心を専門にしてしまった。
ある意味、体制側に寝返ったのだが、
成功するというのはそういうことなのかもしれない。
そういう意味では、
加藤和彦氏は未だにインディーズめいた和幸などの
活動をしており、真のアーティストである。
しかし加藤氏が大槻氏と違うのは、
自分のやりたいことを自分の意思でできるだけの
地盤作りをしてきたということだ。
それはすなわち、「帰ってきたヨッパライ」の儲けで
音楽関係の機材リース会社を先駆けて
日本に作ったりしたことだ。
これは大きな社会的貢献であり、
誰しも認めざるを得ないところである。
逆に大槻氏は「家族」という内側ベクトルに
お金を使ったので、「泣ける話」で
終わってしまったのである。