程度が知れる

http://www.asahi.com/politics/update/0724/TKY200907240343.html
首相のことを漢字が読めないとか軸がぶれているとか
批判するのは程度が低いとのこと。
漢字の読み間違いを鬼の首をとったように批判するのは、
非常に幼稚と思う。
しかし、発言の軸がぶれるのは首相として問題があり、
それを批判的に報道するのはごく普通の
ジャーナリズムであり、
それを暗示的に政府が批判するのは旧時代的な
言論統制に他ならないだろう。


ある問題の論点を全く別の問題に
無理やり適用させようとする、
卑しくさもしい発言ではないか。
言っていることの本質が2点3点するというのは、
信用という観点から、
平の営業パーソンでも絶対にやってはならないことだ。


目下は目上の人に敬意を払い、
目上は目下の人を大事に育てるといったことが、
ごくごく当たり前の常識であると同じく、
発言内容をころころ変えては信用してもらえない、
信用こそが得がたい財産である、
信用は失うはたやすく得るのは困難ということも、
ごくごく当たり前の常識なのである。


併せて、公の場で政府のスポークスマンが
自分の個人的な「分析」を語って顰蹙を買うのはどうか。
また分析として「ウロウロ」といった
曖昧模糊な擬態語を繰り返すのは、
あまりに稚拙ではないか。
揚げ足をとるのはみっともないが、
揚げ足を取られ易すぎるのもかなりみっともない。