孤独について

僕は自分自身を孤独な人間だと感じることがある。
親しい女性からも、そこを非難される。
心を開いていない、人との繋がりを大切にしない、
人の気持ちを考えていないと。
孤独感に苦しむというよりは、むしろ孤独を愛しているのが
問題なのである。
僕自身に苦しみはなく、孤独な生き方が、
僕を愛してくれる人たちを苦しめるのだ。


では、その孤独の源流はどこにあるのか。
それは僕の母だ。


僕の母は養子だ。
母の実の父親の妹夫婦(私の今の祖父母)の家に、
生まれてすぐ、養子にやられた。
母は物心ついた時から、両親や、
実の両親(当時は近しい親類が隣接して暮らしていた)の
様子から自分が養子と悟っていた。
しかしそれを誰にも打ち明けられないという状況が、
母を論理で全てを律する人間に変えていった。


何かしら一筋通して、そこから決して外れないように、
そういう生き方は、ともすれば頑なで孤独な人生だ。
だから僕の母は本当に孤独に生きてきて、
そして今も孤独なのだと思う。


母は僕の幼い時、時折「K-Tyは橋の下から拾ってきたんだよ」
そう言って僕をからかった。
僕はそれでよく泣いたもので、
これを家庭内暴力だったと考えていた時期もあった。
しかし、今になって考えてみると、
これが母の唯一の、養子であることの告白だったのではないかと
そう思えるのだ。


もちろん養子のことは父も知っていたし、
私も社会人1年目に知ることになった。
今では母とこのことについて話すこともある。
しかし、それでも、物心ついた時点から、
自分の出自を秘して黙さねばならなかった母は、
今でも独りぼっちなのだろうと思う。


そういう母の影響下で生きてきた僕もまた、
どこか他人と一線を画し、
論理や理屈を通して生きている。
決して、人の感情だとか気持ちにすがろうとしないのが、
友人や恋人からはまどろっこしく、時に憎く思えるのだろう。


しかし、もはやこれは人格なのであり、
或いは孤独ゆえに人外であることが宿命なのかもしれない。