隣の芝生的心理

笑ゥせぇるすまんに凝っている今日この頃。
「カンヅメのペット」、「月夜のオーキッド」の
2作に共通する敵役の人間性というのは
私自身の小学校生活にも、振り返ると、
多々思い当たるものである。
すなわち、身近な人間が自分の打ち込めるもの、
大事なものを持っていて、それにより充足していると、
それを嫉妬してぶち壊そうとする卑しい人間性である。


この2作には戯画的に強調されているが、
割と普遍的であり私自身にも時には思い当たるところがある。
しかしこの強調された敵役のおぞましさは、
実に小学校、中学校時代の同窓生に似通っており、
思い出すだに嫌気のさすものである。
また当時からそう思って、苦々しい表情で避けていたのが、
当人にとってはなおさら屈辱的だったに違いない。
避ければ避けるほど干渉してきたものであった。


結局、そういう連中にこそ「ココロのスキマ」
(しかしこれが実に優れたコピーである)が
大きくあるのだ。
おそらく彼らが他人の充足をぶち壊そうとする背景には、
寂しさ、それを共有させてほしいという願望などが
あるのではないだろうか。
だからといって、彼らに同情する気持ちは
これっぽっちも湧かないのだが。
そのくらい彼らは醜悪なのだ。