意見に対する認識に於けるフィルタリング

私のような落ちこぼれに対する慰めとして、
「今の世の中、実力だよ。頑張れ。」
というようなものがある。
好意はともかく、これを真に受けてはいけない。


世間というのは学歴や社会的地位といった
今現在はっきりとしている結果を基準に、
人の話をフィルタリングにかけている。
そのフィルタリングというのは
「相手の方が正しそうか、自分の方が正しそうか」
という分類である。
この時点で非常に馬鹿馬鹿しい話だが、
少なくとも私の知人の一部では事実である。


すなわち経済や政治などについて、
多少なりとも専門用語に属する単語を口にしたとき、
自分よりも高学歴のものに対しては真偽に関わらず
恭順して、
逆の場合は真偽に関わらず否定的に掛かるのである。


要するに一つ落ちこぼれただけで、
人生の先々において余計な説得がどんどん増えていくのだ。
逆に学歴や社会的地位の武装を重ねることで、
説得しなくとも「真偽に関わらず」
周りが協力してくれるのである。