百鬼園随筆

内田百輭氏の「百鬼園随筆」を購入。
百輭氏について、もともとはそんなに興味がなかった。


私の読書体験としては、色々経て、
まともに読んだ最初の作品は、
芥川氏の「鼻」であった。
それから宮沢賢治氏を好むようになり、
だんだん純文学からは遠ざかった。
次第に筒井康隆氏に傾倒し始めた。
それまでは自分の感性に合うものしか読まなかったが、
頭で読むようになり始めた。
すなわち、文字を使って、文学という媒体で、
こういう遊びもできるのかなどといったことを、
生意気に考え出したのだ。


そこから、どうしてか夏目漱石氏へ。
これは予備校で世界史の講師に
「君たち「漱石文明論集」は必読だよ。」と言われ、
素直に読んだ結果であった。
しかし漱石氏の生き方や性格には共鳴したが、
氏の作品を多岐に渡って読むということはなかった。
大学で文学の講義を受講して、菊池寛氏に出会った。
これはある意味運命的というか、
私の文学体験の歯車が動き出した瞬間であった。
またこのころ先輩の勧めで、
「海と毒薬」を読み、段々純文の色が濃くなってきた。
それからややもって、内田百輭氏を知った。
これは私のストーキング未遂の対象者がSNSで、
「世の中に人の来るこそうれしけれとはいふもののお前ではなし」
という氏の狂歌を好きな言葉に挙げていたからだ。
早速、黒澤監督の「まあだだよ」を観て好きになった。
(これを駄作という人がいるが、それは見解の相違と思う)


そして、多少、菊池寛を掘り下げていくうちに、
漱石-内田-芥川-菊池
という何か脈絡のようなものが一つ立ったのだ。
正直、菊池寛というと連載初期のサザエさん
笑いどころがよく分からない一幕でしか知らなかった。
ある編集室でサザエは事務で働いており、
「あら、菊池寛だわ」とサザエさんがあわてて、
饅頭を買ってきて「先生」とお茶とお菓子を出すという、
何が面白いのか、おそらく長谷川、菊池両氏周辺での、
楽屋ネタなのではないかという駄作である。
しかし少なくともそれで菊池寛に興味を持ったお陰で、
こうして文学体験がだんだん充実してきたわけであるから、
これは大変ありがたいことである。