傷つけるほど尊敬

本当だったら、祖父母とか両親とか、
身近な人生の先輩に人生の生き方を学びたい。
特に親というのは、どうあっても子供の心配をするものだが、
そんなに心配ならしかるべき打開策なりモデルなりを、
提示してくれというのが私の要求である。
私の両親の人生は、一般的な勝ち負けで言ったら、
勝ち組かもしれない。
しかし、だからといって、
近代市民社会的な自由で創造的で、社会に貢献しつつ、
自分の人生を自分の望むように謳歌できる人生
というわけではない。
むしろ、多多の犠牲と譲歩、努力と貢献が、
混合されて、その下に満足というほどではないが、
そこそこの恩賞を得られたという程度である。
それゆえ、どこか「貧しくとも自分らしく生きる」ということに、
価値をおくというか、暗黙にそれを欲し、
また子供にもそういう生き方を望むところがある。
だから、そこから人生の手本だとか、
指針というものは得られない。
むしろ反面教師にするべきなのだ。


しかし、私は家族というものを誇りに思いたがる悪癖がある。
家族に固執し、意識しすぎるのだ。
つまり自分も素晴らしいし、家族も素晴らしい。
その考えを強要される家族は、一時的に自尊心を満たされ、
次の瞬間、自分の無能を白日に晒されて傷つき、
そして怒る。
またこうした思いを人類という、偉大な同胞に対しても
私は持つ。
だから、私は人生の解のようなものを示せない、
自分にも、家族にも、人類にも腹が立つ。
それらを至高のものと崇めるほどに、
それらの無能に苛立つ。
結局のところ、すべては宇宙の中の漂流物にすぎないという、
その事実を慰みにしても、
すぐに自我が自尊心や虚栄心や屈辱感や侮蔑感を、
私の心に植えつけるのである。
こうした苦しみとの格闘で日がな過ごして、
それをひたすら繰り返して人生は終わっていくのだろうか。