ヤッシーは太郎さんと仲良くしてね

田中康夫議員が先日、麻生首相に対して
定額給付金ほどの金があるなら、
例えばネットブックを全国民に配るなど、
ある程度の方向性と将来性のある使い方をしたらどうだ」
というような質疑をしていた。
これに対して首相は
「2歳の子供にもパソコンを与えろというのはよく分からない」
という答弁をされた。


ここには大きな誤解があると思う。
田中議員は要するにデジタルデバイドを解消するため、
幼児や老人など積極的にIT機器を手にしない、
もしくはできない人も日常的に
ネットに接続できる環境作りなど、
将来性のある政策を取って欲しいということを意図したはずだ。
麻生首相と田中議員というのは、両者とも、
スノッブ気質で他人の反感を買うところがあるので、
この二人は良いコンビになると感じるので、
これで亀裂ができてしまったら残念だ。


さて、デジタルデバイドの話に戻る。
グーテンベルクの次に人間社会に重要になったのは
郵政である。
そしてその延長にあるのが、国民皆ネット接続である。
電話は活字ではないのでまた別の話なのである。
つまりグーテンベルク活版印刷により、
教育のあり方、学習自体に変革が訪れた。
このあたりは平凡社刊「マクルーハン理論」を
参照されたい。
そして、その活字を郵便事業によって
国家にあまねく流通するようにしたことが、
人間の情報生活を変えた。
ここに於いて重要なのは、人間の古来から使われ、
今なお重要な媒体である文字と流通が結びついた点である。
繰り返すが、電話というのは一時的な意思疎通、
すなわち会話を遠隔地で可能にするという便利さはあるが、
郵便ほど画期的ではない。
そして、現在、日本国家は郵政を廃したのである。
ではその郵政に替わる知恵の実はあるのか?
すなわち文字情報を確実に、遠隔地同士で、
迅速にやりとりできる、
国家によって安全安定的に提供されるサービスはあるのか?
FAXは話にならない。
あれは文字情報などではない。
非常に稚拙で低解像度な画像伝送装置である。
では、やはりインターネットしかないであろう。


すなわち、日本国中の誰もが、
郵便が80円切手で送れたがごとき安価で、
郵便が国の信用の下、安全であったように、
郵便が採算度外視、安定的で、事務所も遍在したように、
インターネットに日常的に接続できなければならないのである。
そうした下地が全く不十分であるのに郵政をなくすのは
間違いであり、なくした以上は、
それに替わる国民の安心安全な文字情報の伝達を、
国が保証しなければおかしいのである。
ヤッシーが言いたかったのはそういうことだ。
そして秋葉原の貴公子、ローゼン麻生なら、
それに賛同してくれるのではないかという、
思惑があったとまで言ったらただの妄想だろうか?