目的刑論

しかし、「白い春」を見るだに、
日本の社会システムは受刑者に社会復帰の機会を
与える気がないとしか思えなくなってくる。
作中で言及されるとおり、
わざわざ「前科者」を安定雇用しようという雇用者もいないわけで、
そも、「前科者」というカテゴリー自体が差別なのである。


これは容疑が確定する前から「容疑者」として差別視する
問題とも通じているのだが、
ようするに価値観の単純化の弊害なのである。
つまり、物事を単純に決めつけ、
乱暴にカテゴライズすることでしか物事を判断できないのが、
日本の大衆の本質なのである。


極めて判断の難しいところであるが、
出所してきた者の中には真に悔い改めた者もいるはずである。
また、彼らの多くは経済的に生活困窮者であるだけでなく、
社会と切り離されていたことや、
「前科者」というレッテルにおいて、
より一層、困窮しているのである。
だからといって、彼らを積極的に助けるというのは
無理かもしれない。
しかし欧米のように宗教的使命感によって彼らを助けたり、
また、プライバシーの尊重という立場から、
敢えて前科については触れずに、一社会人として扱ったり、
文明人らしい助け方があるはずである。