満ち足りたい私

美術館というのはいいものだ。
その内容も、空間も、いいものだ。

すぐ傍にあればいいのにと思うが、
しかし実際に傍にあったらあまり行かない。

ロンドンにいる時はナショナルギャラリーでターナーに感動した。
しかし考えてみたら、日本で何度か見ている絵だったのだ。
感動したのは純粋にターナーの感性に共鳴したからか、
それともホームシックの顕れだったのか、
もしくは両方だったのかもしれない。

つまり何かを鑑賞して感激するか否かということは、
その被鑑賞物の意味合いや価値以外に、
環境や境遇といったものが関わってくるのだ。

ということは逆に、例えば都会に住むか田舎に住むかなど、
自分の境遇に対する満足も、
単純に都会の価値だとか、田舎の価値だとか、
そういう単一の価値観によって決まるものではないのだ。
むしろ人生の豊かさや経験といったものが、
都会には都会なりの、
田舎には田舎なりの満足をもたらしてくれるはずだ。

したがって、今の自分にくすぶりを感じるのは、
単に人生経験が足りなくて感性が貧しいということでしかなく、
それは絶えず動くことで次第に満たされるのである。