詩歌、散文をやるとは

文芸を嗜むということは、とどのつまり文章を書く、打つ、
ということであろう。
しかしそれはあくまで行動の問題である。


その精神性はどうか?
これは人間としての本質というか、
物事の粋を切り取る行為であろう。
そうすると、それは必ずしも活字でなくてはならない
というわけではないはずだ。
まぁ活字じゃなかったら文学ではないけどね。


つまり、デジタルリテラシー
常識として身に着けている世代というのは、
例えばポッドキャスト、ヴォッドキャスト、
ネットラジオ、フラッシュアニメなどで
気持ちや出来事を人に伝えるほうが活字より
自然なのではないだろうかと思うのだ。
従来はマルチメディアの枠組みで素人には
難しそうに思われていたメディアだが、
現在はツールも充実して、いわゆるパソコンで
十分制作が可能である。
こうしたメディアでの表現もいずれは
文芸などのように評価されるようになるだろう。
残念なのはネットラジオ、すなわち生放送、の類は、
必ずしも後に残るわけではないということである。
一部は有志によって録画保存され公開されているが、
放送者がそれを望まないこともある。
しかし、中にはその一瞬で終わってしまうことが、
惜しく思われるほど完成度の高いものがある。
それは必ずしもこれといったメッセージや
目的性があるわけではないのだが、
放送者と視聴者の間の空気がなんとも和やかで、
楽しげになるのである。
これは逆に一過性だからこそ、そうなるのか?
分からないが、これらは確かに、
若者の表現手段として主流になるであろう。