スナフキンの生き方の辛さ

スナフキンは原作においても、アニメシリーズにおいても、
冬の訪れと共にムーミン谷を去る。
そして「必ずまた戻る」という約束はせず、
残余の保証もなく、
「気が向けば」春に戻ってくる。


このことはスナフキンと、その親友ムーミントロール
暗黙の約束なのである。
ところで砂付近って、IME・・・

馴れ合い好き民族の漫画作品に顕著なのは、
敵もいずれ仲間になって、
最終的には皆で偉大なぬるま湯を形成する展開である。
スナフキンは対極で、
馴れ合いになりそうになったら、
その場を去るのである。
おそらく作者であるトーベ ヤンソン自身も
本当はある程度馴れ合ったほうが
人生楽だろうということは認めていたのではないか?
しかし、それだからこそ、
敢えて寒い冬を暖かいムーミン家の中で
全員一緒に足並みそろえて仲良しこよしで
スナフキンも一緒に過ごしましょうなどという
流れにはしたくなかったのだと思う。
想像の世界でまで、そういう醜さを描かなくてもいいだろうと。
逆に馴れ合いが好きでたまらない人は、
漫画などに顕著だが、
馴れ合いの極地のような作品を作る。

しかし、実際スナフキンの心中を察するに、
そうとう辛いとは思う。
親同然のムーミンパパ(パパとスナフキンの父親は親友)、
大親友のムーミントロール
綺麗で居心地のよいムーミン谷で彼らと一緒に安住すれば、
それはそれで人としての一つの幸福であろう。
とはいえ、スナフキンは一説にはヤンソン氏と
付き合いのあった哲学者がモデルと言われている、
志ある人なのである。
彼はムーミン谷に来ても絶対に自分を失わない。
そのために敢えてテントで生活する。
その点、スポイルされたスニフなどは
ちゃっかりムーミン家で生活している。
(スニフの父親もムーミンパパと親友で、
まぁパパが親同然なので、
それを知っていれば多少は納得できる。)


単純な言い方をすればスナフキン孤高の人だ。
しかし単に人と一切付き合わない世捨て人という意味で
孤高なのだとしたら、それは一つの逃避だ。
スナフキンはきちんと人と付き合い、
その上で人付き合いの一番甘くて美味しい所は
自分から遠慮する、そういう孤高なのだ。
そういう人に私もなりたい。